ばかのこ日記

おバカも精一杯生きてます。栗かのこは1度食べてみてください。

変な男にしかナンパされない話

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ナンパ。

 

 

それは大半の男があわよくばあんなコトやこんなコトしちゃいたいな〜ムフフフと考えながら街中を歩く女の子に声をかけることである。

 

 

そんな見ず知らずの性欲剥き出しの男達について行く女の子がいるのが同性として不可解だが、彼らナンパ師は今日も繁華街で獲物を狙っているのだろう。

 

 

私も繁華街などをてくてく歩いているとナンパされることがある。

 

 

私にナンパするやつが変なやつなのかナンパ師みんな変なのか私が変なのか分からないが私は変な奴にナンパされることが多い。

 

 

その中でも妙だった3人を紹介したい。

 

 

 

〜1人目in渋谷〜

 

 

高校生の頃。渋谷のスクランブル交差点の信号待ちをしていて、青になったことに気づかずぼけっとしていると話しかけられた。

 

「お姉さん1人?いまひま?」

 

「いえ、暇じゃないので。」

 

 

そう言って去ろうとすると、どうにか引き止めようとしたのか男が私に言った。

 

 

 

 

 

「矯正かわうぃーね☆俺も矯正してたよ☆」

 

 

 

 

 

矯正が…

 

 

 

 

かわいいだと?

 

 

 

 

おい待てコラァ。

 

 

私を引き止めようとして出た褒め言葉がこれか。これなのか。お前いま歯にくっついている針金褒めてんだぞ。

 

 

スタイルでも顔でも髪でも肌でもなんなら服でもいい。他になんでもいいからあったでしょうよ。

 

 

 

歯にくっついてる針金褒められて喜ぶ女の子がどこにいるのか。

 

 

 

 

そして付け加えられた、

 

 

 

 

「俺も矯正してたよ☆」

 

 

 

 

 

これはすごいぞ。こんなにどうでもいいと思ったことは生きてて初めてだしこれからも当分ないだろう。

 

 

知り合いとかでさえ矯正してたんだ〜とか言われても「ちょっとどうでもいいな」と思うのに赤の他人である男に言われちゃったぞ。

 

 

 

きっとこの男はナンパに向いていない。かなり。女心が分かってない時点でよくない。少女漫画100冊読み切るまでナンパはお控えなさい。

 

 

 

 

もしかして、もしかすると私の容姿で褒める点がどう絞り出しても矯正しかなかったのかもしれない。

 

 

 

 

それについては考えたくないので考えない。

 

 

 

 

〜2人目in横浜〜

 

 

 

この日はにわか雨が降ってきて駅から外に出られずに困っていたところをナンパされた。

 

 

 

「お姉さん傘ないんスか?良かったら目的地まで送りますよ」

 

 

 

実際そうしてくれるとかなり助かるのだが、“ナンパ師に貸しを作ったらマズイよ!”とわたしの貞操観念が助言してくる。

 

 

 

なので丁重にお断りして足早に去ろうとしたが、結局雨で足止めを食らっているので動けない。

 

 

 

ナンパ師はナンパを続ける。

 

 

 

「おねえさん、カフェでも行かない?雨降ってる間は暇でしょ?」

 

 

「行きません」

 

 

「えーじゃあここで話そっか!」

 

 

ナンパ師の臨機応変な対応すさまじい。

 

 

ぜひナンパではなく、JRの社員になって遅延した時にその力を発揮してほしい。

 

 

 

「おねえさんいくつ?」

 

 

「19ですけど」

 

 

くそう。これじゃナンパ師の思うツボだぜ。

 

 

こうなったら雨が止むまで話すしかない。雨が止んだら速攻ダッシュだ。と思いつつナンパ師の一方的な質問にテキトーに答えていた。

 

 

するとナンパ師がいきなりドヤ顔で言った。

 

 

 

 

 

「てかさ、俺の手マンやばいって好評なんだよね〜君は手マンでイッたことある?」

 

 

 

 

 

は?

 

 

 

 

こいつ、正気か?

 

 

 

 

 

どうして2分前くらいに知り合ったやつにこんなディープな質問されなきゃならないんだ。

 

 

 

だいたい、こういうことを自慢するやつに限って口先だけの技術が伴ってないやつだ。

 

 

 

完全にナンパ師が調子に乗りまくってるので反撃してみることにした。

 

 

 

「うーん。お兄さんは私の好きなプレイに付き合ってくれますか?」

 

 

 

 

「え!なになに?いいよ〜」

 

 

 

 

にやり

 

 

 

 

「じゃあ今からコートの中の服全部脱いできてください。野外露出プレイしましょ♪」

 

 

 

 

今度はおにいさんが「こいつ正気か」という顔をしている。

 

 

 

 

「いや〜それはちょっと…」

 

 

 

 

「そうですかぁ〜もしくは今から四つん這いになってワンワン言いながら私について来るっていうのは?リード買ってくるんで」

 

 

 

 

「ははは…それもちょっとキツいかな」

 

 

 

 

 

「うーんそうですかぁ。残念。男の人が恥辱に耐える顔が好きなんだけどなぁ」

 

 

 

 

「それじゃそろそろ行くわ〜」

 

 

 

 

 

こうして手マン男は去っていった。

おとといきやがれ(*^^)v

 

 

 

 

〜3人目in横浜〜

 

 

 

 

横浜のルミネ前を歩いているとき。

 

 

 

 

 

「おっおっおおおおねえさん。ちょちょちょtっといいですか むhふっ」

 

 

 

 

 

 

 

 

…と、こんな感じでナンパ師はそれぞれあの手この手で誘ってくる。

 

 

 

 

 

それぞれ個性が強くツッコミどころ満載で話のネタにはなるが、亀梨似のイケメンでない限り私がのこのこついて行くことはないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

かの子、19年間を振り返る

 

 

かの子がオギャアと生まれてきたのは1998年の夏のこと。

 
 
生まれた時のことはよく知らないけれど名前選びに苦戦したことは聞いている。
 
 
両親が私の名前をつけるのを祖父に全任したところ、祖父が選んだのは「多子」だったそうな。
 
 
タコ…?
 
 
 
 どうやってもあの赤い軟体動物しか頭に浮かばない。
0歳の私もこれから先、何回名前をネタにされるか思いを巡らせては落胆していたに違いない。
もしタコちゃんになっていたら若干違った人生だったはず。
 
 
結局、おじいちゃんに全任したはずのお名前決定権を両親が奪い返して今の名前になった。
 
 
お母さんお父さんありがとう。これに関しては本当に感謝の念を送らずにはいられない。
 
 
そんなこんなで初孫として生まれた私はそれはそれは周りに可愛がられ甘やかされ、今の甘ったれた私が出来上がっていったのです。
 
 
幼稚園の頃は引っ込み思案で泣き虫だった私。
 
 
それが名古屋へ1年間引っ越したおかげで、出しゃばりでよく笑う子になって横浜にズカズカ帰ってきた。
 
 
それは名古屋のお友達がとっても明るくて楽しい子たちだったからよ、とお母さんから聞いている。
名古屋のお友達よ、ありがとう。
今となってはついに年賀状も途絶えてしまったけれど。今年は書こうかな。まぁ覚えてたら。
 
 
小学校6年間は私の暗黒時代。こいつ嫌な奴だなと思われるからあまり言いたくない。
 
 
名古屋から人格を変えて帰ってきた私はスクールカーストの上位に君臨する。
そして「公園の女王」という通り名をもち毎日放課後に遊ぶ内容を下々に指示していた。ドロケー、凍り鬼、ぽんけり、などなど。
 
 
その時、私がよく皆を従わせるために使っていた魔法の言葉が「○○しないと絶交するよ?」だ。
 
 
最低下劣極悪非道である。
 
 
そんな私だったが、なぜか友達を失うことなく楽しい小学生時代が幕を閉じた。
 
 
中学校時代は汗水流して部活動に励んでいた。部活は体育会系文化部こと吹奏楽部。
 
 
朝練、放課後練に土日の練習。部活が終われば塾。勉強と部活を両立する模範的な中学生であった。
 
 
第一志望校にも見事合格しここらへんが私の人生の全盛期である。なのでこのあと書くことは飛ばしていただいて大いに結構。かの子ちゃんは優等生という認識でとどめておいて欲しい。
 
 
 
 
 
 
 
 
かくして進学校に入学することになった私。
ここから私の劣等生ぶりは見るに堪えない。
 
 
そもそも無理して進学校に受かってしまったのがよくなかった。実力相応のところにしておくべきだったのだ。
 
 
まず、授業がわからない。数学化学なんて本当に字のごとくパッパラパーだった。みんなパッパラパーだったら良いのに進学校で頭のイイ子ばっかりだからすぐに置いてけぼり。
 
 
最初の定期テストで数学は100点満点中16点。見たことのない点数に大ショック。このあたりで早くも私は勉強を諦める。決断は早い方なのだ。
そして早くも先生方に目をつけられることになる。
 
 
勉強を諦めた私は悠々自適な生活を送っていた。
 
 
朝は優雅にパン屋さんで朝食を済まして、ごきげんようと言って3時間目から登校。たまに単位が危なくなると1時間目に出現することもあった。
 
 
わたしが1時間目にいると「どうしたの!?」と友達に驚かれる、そんな感じ。
 
 
しかし私がこんな生活を送っていることを当たり前だが両親はよく思っていなかった。
 
 
お母さんには「どうしてそんな不良少女になってしまったの」と泣かれたこともある。さすがの私も胸がチクリと痛んだが、痛んだだけでこの生活を変えるつもりはなかった。
 
 
高校は放り投げていた私だったが、大学受験は諦めていなかった。むしろ大学受験で見返してやるくらいの気持ちでいた。
 
 
予備校は高校の授業を疎かにしている私が通わせてもらえるはずもなかったので参考書を使って高2の冬あたりから受験勉強を始めた。
 
 

 最初は順調で勉強すればするほど模試の点数も上がっていった。
 
 
だがしかし。12月にいざ過去問を解いてみるとパッパラパー。全然解けない。こりゃあ間に合わないと察し枕をぬらして泣いた。
 
 
そうこうしてるうちに受験が終わり、見事一般受験した大学は全て落ちた。滑り止めにも滑って落ちた。完全なる全落ちだった。
 
 
またしても枕を濡らして泣いたが、枕を濡らしても全落ちの事実は変わらないのでセンター後期で出願できそうなところを探しやっと念願の合格を手に入れることが出来た。めでたし。
 
 
そして現在。センター後期で運良くひっかかった大学に通う女子大生をやっている。
とっても言い方が悪くなってしまったが、優しい友達も1人できてバイトもして、今はそれなりに楽しい。
 
 
こんな感じでざっと19年間を振り返ってみて、なんだか最後の方は枕を濡らしてばっかりだな。今も同じ枕使ってるからちょっと汚いかもしれない。今度変えておこう。